ロードバイクで単独事故をした。命に別状はなく骨折もしていなかったが、何針か縫ったり、強く打った箇所があったりして、回復に1週間以上の時間を要する大怪我となってしまった。
望ましくはないが、珍しい体験をしたので、忘れないうちに書き留めておこうと思う。
事故の経緯
事故をした場所は下記。茨城県の筑波山付近の峠道の下り。右のカーブがあり橋がかかっている箇所だ。
橋のつなぎ目に大きな段差(記憶では体感5センチぐらい)があり、そこでロードバイクが跳ねてしまった。自転車は前タイヤが浮くと曲がれないからか、そのまま橋の欄干に衝突した。
問題の発端となった大きな段差は走っていた時に視認できなかった。google mapの画像(上図)で確認してもほとんど分からないが、結構な大きさの段差だった。
ところで、橋の欄干に曲がっている箇所を確認できる。同じように段差で事故を起こした人が私の前にもいるのかもしれない。
欄干との衝突
橋の欄干に衝突したのだが、運動エネルギーがなかなか落ちず、止まるまでに時間がかかった。橋から下の崖が見えて、落ちて死ぬのかと思った。結局橋からは落ちずに止まって、助かった、良かったと思った。
何で打ったのか分からなかったが、全身を打ったようだった。特に足が痛く、流血をしていた。あまり動くと良くないと本能的に考えて、飛んでいったスマホとスマホホルダーの回収だけをして、しばらくその場でじっとしていた。
この時、時計で時間を確認しておくべきであった。事故が発生した時間を、後で病院にて聞かれたが答えられなかった。
事故直後の流血。道路が結構血だらけになった。最終的に200ccくらい出血していると思うが、貧血になったり意識が遠のくようなことはなかった。このくらいの出血では、全く命に別状はないと学んだ。
なお、事故直後はアドレナリンが出ていて分からなかったが、1週間では治らないような、ひどい事故だったと後日判明した。
病院へ
救急車を呼ぶ局面か、自走するかとと迷っていたが、病院へは、車で通りかかった人に運んでもらった。なんとありがたいことかと思った。
(なお、その人には最終的に自宅まで送って頂いている。道中でいろいろな楽しいお話を聞かせてもらい、足の痛みが紛れた。最後に感謝の言葉を尽くせてない気がする点が、この事故の件で唯一の心残りとなった。正直その時は痛くて頭は働かなかった。)
病院での処置内容
病院では事故について聞かれた。意識があるかどうか確認されているようにも見えた。
処置は、最初に血を拭うように体を拭かれた。出血がある箇所と、血が付着しているだけで出血がない箇所とを判別できるようになった。
血液検査を行い、点滴が打たれた。心拍と血圧の測定が始まった。
次に超音波での内蔵検査を受けた。確かに内臓が損傷しているかどうかを確認することは大切だと思った。内臓に異常はなかった。
その後、レントゲン撮影をして、骨折の有無を確認した。骨は折れていないことが判明した。
最後に、足を洗って縫合した。異物があるかどうか分からないので、麻酔を打ってもらった上で切って、洗って、縫合するという流れだった。右腕にも出血が止まらない箇所があり、そちらも縫ってもらった。
近所の病院に翌日に行くように言われた。紹介状を書いてもらった。感染症に負けないように薬を処方してもらった。
その後の怪我の経過
翌日は動くと痛いので動けなかった。仕事は有給をもらった。
痛みは左足と右手が大きかった。動くために少し力をかけるとすぐに痛くなった。おかげで、寝そべる・起き上がる・座るといった動作で、どこの骨に力がかかるのか、普段意識しない種類の力の流れを知ることができた。
左の内ももを打っていて、内出血が10cm×20cm程度広がることとなった。座っても結構痛かった。
事故から3日後、3度目の通院時に、傷はふさがりつつあり、シャワーを浴びることが許可された。
事故から7日後頃に、左の足先が黒くなってきた。心配で再び病院へ行ったが、これは内出血が重力で落ちてきただけであり、心配不要だと教えてもらった。
出血した箇所は普通にかさぶたができて完治目前になっている一方で、打った箇所は少しずつしか回復しない様子だ。
ブロク執筆時点は、事故から9日後。かなり回復してきて、ある程度普通に生活できるようになってきた。事故当日に縫合して以降は特に大きな治療をしておらず、自然回復の力が働いて回復している点が面白いと思う。
この後、事故から12日後に抜糸が予定されている。
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