
ある書籍において、日本の経営者やCFOは「アニマルスピリッツ」が不足している、と繰り返し指摘されているという。興味深いことに、同じ書籍に1980年代のバブル期における日本企業による米国企業の過剰かつ無謀な買収事例も取り上げられている。過度に保守的とされる現在の経営姿勢と、過度に強気であったバブル期の経営判断は、一見すると対照的な問題として描写されている。しかし、これらの事象は、根源において同じ課題に起因しているのではないだろうか。私は、日本の経営者に本当に不足しているのは、情緒的な「アニマルスピリッツ」ではなく、「適切な投資規模を判断するために必要な知識と知性」であると考える。
日本語で書かれた経営書では必ずしも馴染み深くはないが、企業の持続的な成長を考える上で重要な概念にSGR(Sustainable Growth Rate:持続可能な成長率)がある。SGRは、企業の内部留保された利益のみを用いて達成可能な最大成長率を示し、以下の計算式で算出される。
SGR = ROE×(1−配当性向)
このSGRの数式は、企業の成長と財務構造に関する多くの示唆を含んでいる。
まず、企業の「成長」が「配当」を規定するという側面である。企業がもし内部留保を活用し、自己資本利益率(ROE)と同等かそれ以上の比率で事業規模を拡大できるような高い成長機会を有しているのであれば、利益を全て内部留保し、配当を行わないという選択も株主にとって合理的な判断となりうる。実際に、Amazonやバークシャー・ハサウェイなど、長期間にわたり無配当ながら高い企業価値の成長を遂げてきた米国企業は少なくない。一方、有効な成長投資の機会が枯渇し、成長率が実質的にゼロであるような成熟企業においては、SGRの考え方に基づけば、ROE×(1−配当性向)=0 となるため、利益の全て(配当性向100%)を株主に還元することが合理的な選択となるという当然の帰結を導く。
次に、「配当」が「成長」の限界を規定するという側面も重要である。企業の実際の成長率がSGRを大きく上回る場合、必要な資金を内部留保だけでは賄いきれなくなり、外部からの資金調達に過度に依存するか、最悪の場合、資金繰りの悪化から破綻のリスクに近づく。これは、バブル期に見られたような、自社の財務体力を超えた過剰な投資や買収が無謀である理由を端的に示している。SGRを無視した成長は、持続可能性を欠くのである。
逆に、企業の成長率がSGRを下回る場合、それは内部に成長に必要な資金が蓄積されているにも関わらず、それを十分に活用できていない状態を意味する。これは、必要な成長投資や新たな事業へのチャレンジが不足していることを示唆する。余剰資金を有効活用できないのであれば、その資金は配当として株主に還元されるべきだろう。これは、現代において指摘されることの多い、日本企業の「アニマルスピリッツ不足」、すなわち成長機会への積極的な投資姿勢の欠如という問題意識と重なる。
結論として、日本の経営者に求められているのは、単にリスクを恐れないといった精神論に帰結する「アニマルスピリッツ」の注入ではない。そうではなく、SGRのような定量的な指標を理解し、自社の資本コストやリスク許容度を踏まえながら、持続可能な範囲内で最適な投資判断を下すための高度な「知識と知性」なのである。バブル期の過剰投資も、現代の投資不足も、突き詰めればこの投資判断の規律を欠いているという点で共通の課題なのである。
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