2011年8月8日(月)に発生した世界同時株安を米国債ショック(べいこくさいショック)と呼ぶ。米国債のデフォルト懸念から、アメリカの格付け機関スタンダード&プアーズ(S&P)が、2011年8月5日(金)にアメリカの長期発行体格付けをAAAからAA+に格下げした事が発端。
米国債ショックの後、国内株式相場は低迷した。
米国債ショックとは?
背景:米国債務上限引き上げ問題
債務が膨らむ米国で、米国債のデフォルトの懸念が出た。
バラク・オバマ大統領ら民主党と、下院の過半数を占める共和党が、債務削減案を巡って対立していたため、問題の解決が困難になっていた。
このデフォルト懸念は、債務上限引き上げ法(Budget Control Act of 2011)案の可決で、ようやく払拭された。法案は下院で2011年8月1日(月)に可決、上院で2011年8月2日に可決され、オバマ大統領が直ちに法案に署名し成立した。
S&Pの米国債格下げ
ところがその後、8月5日(金)にS&Pが米国債の格付けをAAAからAA+に格下げした。
安全資産とされていた米国債の信用が揺らいだ事で、翌営業日である8月8日(月)に世界同時株安が発生した。
2011年8月8日(月)のこの世界同時株安を、米国債ショックと呼ぶ。なおこの株式市場の事件は、英語では「United States federal government credit-rating downgrades」と表現されている。
日経平均株価チャート
格下げ前後
S&P格下げ翌営業日
S&Pが米国債を格下げした翌営業日である2011年8月8日(月)の日経平均株価は202.32円安(-2.18%)の9,097.56円で引けた。
一旦は債務上限引き上げ法の可決で危機状態を脱し、世界の投資家がリスクオンに傾こうとする中での米国債格下げは、明確なネガティブ・サプライズとなった。その結果、世界の株式市場の混乱が大きくなった。
短期間での株価下落
翌日以降も、米国債ショックの影響で相場は不安定になり、株価は短期間で大きく下落した。
日経平均株価は直近高値の10,040.13円(8月1日)から安値8,656.79円(8月9日)まで、6営業日の間に-1,383.34円(13.78%安)の暴落をした。
米国債ショック前後の主要な株式市場イベント
米国債ショック前
米国債ショック前は、2011年3月11日(金)に東日本大震災が発生し、地震と津波の影響で日本経済の状況は悪化していた。特に製造業の企業では、サプライチェーンの分断問題により生産活動に支障が出ていた。そのため日経平均株価は下落傾向にあった。
米国債ショック後
円高・株安
米国債ショックで米国債の信頼が揺らいだ結果、安全資産の日本円に買いが集まり円高となった。円高は多くの輸出企業の利益を引き下げた。そのため、米国債ショック後は日経平均株価は低迷し、2011年11月25日(金)には8,135.79円まで下がった。上記チャートでも、米国債ショック後の日経平均株価の下降トレンドを確認できる。
軟調な日本株の一方で、実はショックの震源地の米国の方が、株価が早く回復した。格下げの翌営業日である8月8日(月)に限れば確かにダウ平均株価は634.76ドル安(5.55%安)と暴落した。ところがその後、しばらくもみ合った後10月にはダウ平均株価は上昇トレンドに入った。
2012年以降、日本株も回復へ
その後2012年に入ってから、日経平均株価は上昇に転じた。2012年3月9日(金)に1万円の大台を取り戻し、2012年3月27日(火)には高値10,255.15円を付けた。
この株価上昇の要因として、2012年1月25日(水)米連邦準備理事会(FRB)が2%のインフレターゲット導入と2014年末までゼロ金利政策の維持を発表した事や、2月14日(火)に日本銀行が「中長期的な物価安定の目途」を設立(バレンタイン緩和)した事などの、緩和政策イベントが挙げられる。
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